day/dreamer

敬愛する古明地洋哉さんをはじめ、音楽や芸術について書き綴っていきたいと思っています

STARLIGHT

 感動的な曲だ。
 前奏の高揚感溢れるギターストロークは、僕の中でコールドプレイを超えている。
 もちろん、そんな比較は、かえってこの名曲に失礼だ。
 なぜなら、『讃美歌Ⅱ』の冒頭を飾るこのメロディーの洪水は、紛れもない「star light」を、独自に表現しきっているのだから。そこには満点の星があって、まばゆいほどに瞬いている。流れ星も尾を曳いている。そんな暗闇の中の祝祭ともいえる、夜の明かりのまばゆさに満ちた世界が繰り広げられている。

 
 歌い出しからすぐに至る間奏までの、8小節の歌詞もいい。


   戦いすんで 日が暮れて
   とり残された さみしさを


 ほとんどやけっぱちと言ったらいいんだろうか。すがすがしい荒みとでも言えばいいんだろうか。そこにあるのは、20代後半の古明地さんの、透明でささくれ立った美しい心だ。虚無感の中にもコクがある声は、4小節、8小節の終わりにファルセットする。それは独りぼっちになってしまった聖歌隊員があくまでも忠実に、讃美歌を歌い上げているようにも思えるし、ため息みたいにも聞こえる。
 2番の歌い出し8小節は、こうだ。


   戦いすんで 気がふれて
   友達はみんな 死んでしまった


 この曲の歌詞は、きっと抽象画みたいに書かれている。だから分析が、どこまで有効かは分からない。
 ただ、歌の主人公はともかくも、戦場のような場所で夜を迎えた。どんな戦場だったかは分からない。しかし、確かに彼は荒れ野にいて、途方に暮れている。そんな彼の頭上には、「star light」が輝いている。自分を肯定するための何かも、自分を肯定してくれる誰かも持たない青年が、唯一、そこにいるというそのことだけを肯定しようとしている。それがまさに、そこにある『讃美』のような気がする。


 僕はここまで、この曲の歌詞に登場する「君」を無視して、この文章を書き進めてきた。
 「君」とは、果たして恋人なんだろうか。
 分からない。だけど、少なくとも僕には、そんな風に思えない。
 むしろ、主人公の「僕」が作り出した幻のように思える。
 しかし、そう考える根拠もない。

 
 「過ち」にしてもそうだ。
 この曲に歌われる「過ち」とは、何なんだろう。
 この歌の主人公は、一体どんな間違いを繰り返していると言うんだろう。
 やはり、分からない。


 ただ、あの頃の僕は、自分自身の過ちだけは知っていた。それだけは、痛いほどに自覚していた。
 それは『臆病』という過ちだ。
 だから、僕にとっての「君」とは、具体的な一人の、片想いする人の幻でしかなかった。その人は、僕の妄想の中で、他の誰かと見つめ合い、寄り添い合っていた。


 あの日々、胸にあった苦しみと後悔を、他のどんなものよりも慰めてくれたのは、この曲だった。


   星明かりの下で僕は
   似ても似つかぬ君の姿を思い知る    
   ああ僕は 何度でも同じ
   過ちを 繰り返すんだろう


讃美歌II

讃美歌II