憧れ
古明地洋哉ファンの方は、友人や知人に、古明地洋哉というアーティストをどう説明しているのかなあ。
相手が知っていることを期待しちゃいけないのが、我々、古明地ファンの辛いところであり、そこが醍醐味でもあり、腕の見せ所でもある。
この間、同僚に聞かれて、ある程度まで説明したところで、こんな質問がきた。
「井上陽水みたいな感じですか?」
え…? かなり違う。「暗いSSW」という説明から、そこを連想したのかなあ。でも、何が違うんだろう。僕はしばらく考えた後、こう答えた。
「いや…、古明地洋哉は、井上陽水ほど世の中を分かっていないな!」
「世の中を分かってないのに、暗いんですか?!」同僚は、やや愕然として言った。
「そう、それこそが古明地洋哉の魅力なんだよ!」
なんだか、けなしているのか褒めているのか分からないけれど、僕としては精一杯、古明地洋哉というアーティストの実像に迫ったつもりだったのです。
無論、古明地洋哉という人が、まったくの世間知らずという筈はありません。ただ、彼の表現する音楽というのが、現実の世界でなく、幻覚を当然のように見ている主人公が自分勝手に定義する、倒錯した「世界」であることが、大きく関係しているような気がします。
さて、『憧れ』です。
このタイトルが、まず素敵だ。誰もが知っている馴染みの言葉だけど、『憧れ』ってこれ…、すごいなあ。よくこんなすごいタイトル、お付けになったと思う。第一、この歌に「憧れ」なんて歌詞は出てこないし。
こんなシンプルで素敵なタイトルを持った曲が、他にあるのかしらと思って「憧れ 歌詞」で検索してみました。
結果は…
島木ゆたか「ひとり…憧れ」
岡晴夫「憧れのハワイ航路」
南佳孝「憧れのラジオ・ガール」
小椋佳「憧れ遊び」
℃-ute (キュート)「憧れ My STAR」
こんな感じでした。
『憧れ』っていう単語のみを単独でタイトルにするこの感覚は、古明地洋哉さん一流のものであって、最新の独創性とでもいったものを感じさせます。
この曲は『夜の冒険者』の4曲目に収録されている。
このアルバムは、本当に繰り返し聴いた。1曲目の表題作『夜の冒険者』も素敵だ。「ピンク・ムーン」という言葉が出てきて、随分話題になっていた。僕はその言葉の意味を知らずに楽しんでいたけど、今日、はじめて検索して調べてみました。それは、熱海の優良ヘルス「ピンクムーン」のことではなく、ニック・ドレイクという伝説的なフォークのSSWが作ったアルバムの名前のようですね。作ったアルバムはたったの3枚。その3枚目にして最高傑作の呼び声高いのが「ピンク・ムーン」で、なんでも抗うつ薬を服用しながら製作されたということです。これまた、倒錯したイメージだなあ。今度、聴いてみようかしら。
とにかく、そんな一曲目から、テンションが途切れることなく、色とりどりに、鮮やかな曲が展開していく。
そして、7曲目に配された『マルテ』が、このアルバムの絶頂であることは間違いない。
だけど、今日の題は『憧れ』です。この怒涛のように名曲が続くアルバムの4曲目にある、前半の区切りといってもいい存在の曲だと思う。
サビに至るまでの歌詞は、いかにも思春期然、反抗期然としていて、だからこその真剣さ、大げささ、大上段さがある。これこそが、現実の逆方向に独走する、古明地フレーズの真骨頂と言えるかもしれない。
だが、この曲がドラマチックなメロディーのうねるサビに至ったとき、歌詞もまたダイナミックな展開を見せる。
アイム・ア・ドリーマー
デイドリーマー 長い夢から覚めた
アイム・ア・ドリーマー
デイドリーマー 雨は虹に変わるから
アイム・ア・ドリーマー
デイドリーマー 傷つけあうくらいなら
アイム・ア・ドリーマー
デイドリーマー 蕾のように眠り続けたい
すごい歌詞だと思う。
だって、この歌の主人公は、自身を「デイ・ドリーマー」(妄想家・白昼夢を見る人)だって、自分で宣言しちゃってるわけです。そんな人が「長い夢から覚めた」って、目覚めたところであんた結局、白昼夢見てるんじゃない!っていう。「私はうそつきです」というあの有名なパラドックスを連想させる。さらに過剰だ。
そして、迎えた最終のサビで、「眠り続けるくらいなら/花のように咲き乱れたい」と、ポジティブな展開を見せるのだけど、依然として歌い手は、「I'm a dreamer! daydreamer!」って、正気とは思えないファルセットボイスで高らかに歌い上げてて、もう何が何だか、夢際の倒錯・百花繚乱みたいなものすごい様相を呈するわけです。
しかし、そんな理屈を抜きにして、『憧れ』は、一曲の美しい作品として純粋に楽しめる歌です。
カーステレオで聴きながら、僕はこの曲をどれだけ繰り返し、車中で歌ったか分からない。